こんにちは、ココナラ代表の南です。 よもやまブログ、初登場です。
先日、人事の泉谷がこんなブログを書いてたんですよ。 note.mu
1年の採用活動について振り返ったよいブログ(長文)なんですけどね、そんな中でこんな約束を勝手にしていて。
ちょうど1週間後の12月26日(水)に、弊社代表の南がココナラよもやまブログへ降臨します!
2018年はココナラにとって重要な1年(ほんとうにいろんなことがあった…)だったので、まるでその場にいて追体験できるくらいの臨場感と圧倒的なクオリティで華麗に振り返ってくれるんじゃないかと勝手に期待してハードルをめちゃめちゃ上げて告知しときます。
無茶振りがすぎるよ(笑)
まあ、あれなんですよ、ブログって難しいんですよ。
僕も個人的にずっと書いていて、筆が進む時は進むんですよ。
で、止まる瞬間があって。
これ、誰も読んでくれないときじゃないんです。
その逆で、何本か、めちゃめちゃバズったエントリーが書けると、そのあとも同じようによいものを書かないと・・・というプレッシャーが出てきて、結局当初のようにカジュアルに書けなくなってくるんですよね。
で、気がついたら週に1本だったのが月に1本になり、年に1本になり・・・。
別にカジュアルに書けばいいし、そのなかで時々当たればいいみたいなことだと思うのだけど、それがなかなか難しい。
僕はこれを、「成功の復讐」と呼んでいます。
ずっと書き続けられる人、尊敬しますよ、はい。
と、「成功」という言葉を使ってみたのだけど、これは今日の本筋ではないです。
とりあえず2018年を振り返りつつ、「成功」とやらを考えてみようと思います。
事業の成長を考える
2018年を振り返ると(例年通り)本当にいろいろなことがあったのだけど、記憶に残っているのは生々しいやつばかりなので、あんまり具体的に書けないわけです(笑)
創業当初はもっと無邪気に、あんな機能作った!社員がこんなに増えた!資金調達もした!売上増えた!夢に向かってがんばるぞ、うぇーい!って書いておけば良かったんですけど、そんな無邪気なことばかり言ってられるステージではないわけですよ。
まあ、実際はそんな無邪気に書いていたわけではないけれど(笑)
ただ、具体的なことは書けないけれど、気持ちだけ振り返ると、いつも理想との差分のことばかり考えてきたからか、この1年なかなか思うように成長しないなーと思っていたわけです。
でも今回を機会にちゃんと振り返ってみると、実はたくさんの新機能が開発されていて、1年前に比べればずいぶん売上も大きくなっていて、同じように組織も大きくなっているわけです。
もちろん、オペレーションのレベルも1年前とは見違えるほどあがっていて。
マーケティングの効率性も、ユーザーにとっての利便性も、サイト全体の健全性も、そして決算や労務といった業務の堅牢性も。
理想から比べればまだまだ全然だけど、それでもやっぱり大きく成長している。
(今風に書くなら、これを実現してくれた社員に「感謝しかない」とかいうやつですよ(笑))
ただ一方で、事業や組織が成長すると、それに伴って様々な責任も発生するわけです。
ユーザーも社員も少ない頃は、何かトラブルがあっても見えてる範囲内なのでどうにでも手当てできるし、インパクトも小さい。
でも事業や組織が大きくなってくるとそうは言っていられない。
一つのミスが与える影響範囲が大きくなるし、制御も効きづらくなり、問題解決の難易度も上がってきます。
だからこそ、そういったことを回避するために様々なルールを作ったり、チェックの時間を取ったりするわけです。
大変な作業だし、正直めんどくさいなと思うことは誰にでもあると思います。
「成長」に向けて全力で頑張りたいのに、なんでこんなことに時間を割かなければいけないのだろう、と。
でも、ここに「成長」の本質があると思うのです。
「成長するから責任が発生してしまう」のではない。
「成長とは、より大きな責任を引き受けられるようになること」そのものなのだ、と。
売上は増えているけれど付随する責任に向き合っていなければ、それは成長ではない。
事業や組織のサイズに応じた責任をきっちりと引き受けられる状態を作っていることが成長なのです。
色々と大変なこともあるし、楽しい仕事ばかりではないかもしれない。
ただ、ミッションの実現に向かって、より大きなポジティブインパクトを出しつつ、それに付随するより大きな責任を引き受けられることを、ちゃんと喜んでいきたい。
2018年は、世の中色々なところで、企業だったりプラットフォーマーだったりの責任が問われることが増えた1年だったなと思います。
「より大きな責任を引き受けられるようになってきているんだ!」
そんな「成長」を喜びながら、頑張っていきたいなと改めて思った次第です。
個人の成長を考える
また、「成長とは、より大きな責任を引き受けられるようになること」というのは、個人にも当てはまるのかなと思います。
そう考えると、例えば、分析手法をたくさん身につけることそのものは成長ではないわけです。
分析結果を共有し、誰かの判断材料になる責任を引き受けることが成長であり、更に、その判断材料を元に施策を決める責任を引き受けることが成長なのです。
同じように、簿記を覚えることが成長なのではなく、自分の責任のもと決算書をつくることが成長であり、その内容を自分が先頭に立って監査法人と交渉できることが成長なのです。
部下を持つことそのものが成長なのではなく、時に褒め、時に叱り、しっかりと部下と向き合って部下を成長させる責任を引き受けることが上司としての成長なのです。
そして、より大きな責任を引き受けられるようになることが成長なのだとしたら、成長するためには、自分の責任範囲をやりぬくだけではなく、上司の視座に立っていつもより広い視野でものを考えたり、部門の領域を越えて会社全体の視点から行動したりすることが肝要になってきます。
自分の実力を少しだけ越えて、自ら意思決定し、その結果としての成功や失敗を受け止めながら、より大きな責任を引き受けられるようになっていくことが成長であり、これが、成長するには当事者意識が必要だと言われることの正体だと思うわけです。
経営者は部下によく当事者意識を持てと言うけれども、これは必ずしも会社の事情を押し付けているのではなく、一人ひとりの成長にとってとても大切だから言っているという面もあるわけです。
もちろん、今の世の中、当事者意識を持て!持つんだ!と、それを持つことだけが正義のように上から下へのマネジメントをするのがよいとは思いません。
ただ、今日はマネジメント手法の話はしていないので、この話は割愛します。
ただ思うのは、せっかく会社のミッションに惹かれてココナラに入ってきてくれた以上、事業の成長・組織の成長に加えて、個人の成長をサポートしてあげたいということです。
個人が、そもそも「より大きな責任を引き受けたいと思える」ようになること、そして「より大きな責任を引き受けられるようになっていくこと」を、応援していきたいなと思っています。
2018年を振り返って、事業の成長や組織の成長、そしてそれらを実現してきた仲間の面々を見ながら考えると、本当に一人ひとりが成長しているなぁと嬉しくなります。
今いる仲間とも、これから仲間になる方とも、来年も一緒に楽しく頑張りたいものです。
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